象の記憶

ゾウは不思議で、賢い動物である。しかも共同で生きる力は、人間ととてもよく似ている。
この大きな動物は、いつのときも私たちに尊敬と好感をもたらし、人間を魅了し尽くしている。

今や、ゾウたちの棲む場所が圧迫のもとに晒されている。もしゾウたちが神世の時代から持ち続けてきた「慈愛」のもとで、人間がその知恵や賢明さの影響を得ていたら、私たちは自分たちの生存に欠かせられないこの世界(森林や草原、海や川、雨や風など)のあるべき姿について様々な意見をぶつけ合って来たに違いない。

西洋はアフリカ、アジアの文化にインスピレーションをうけたが、この文化の記憶は、人間と共生したゾウの古層の記憶に刻まれている。

アジア、アフリカの草原や森林が消滅することによりゾウの絶滅、ゴリラの絶滅が進んでいる。それは私たち「人類」の絶滅の道でもあるのだと警告する。
ゾウの記憶の古層は、人間が失った記憶でもある。それは大昔に森林でゾウと人間が共生していたときからの記憶であり、生活の豊かさの根源を忘れて、今だけに戦々恐々とする現代人が捨て去ったものである。「歴史は未来を語る」とは歴史学者A・J・トインビーの言葉であるが、歴史における産業化、文明化ということは、過去の記憶を失うことであったとも言える。ゾウが絶滅することは、古層の記憶を失うことであり、人類の文化という「英知」の歴史を捨て去ることでもある。歴史を持たない「人間」とは何か。荒涼とした世界があるのみではないか。

ゾウの記憶は成長のための通過儀礼の旅でもある。記憶に残された古層には、生活の中の過去から現代に到る美意識や倫理意識のつながりで散りばめられている筈である。
哲学、科学、芸術、文学は長い歴史を通して、生活に豊かさと潤いをもたらしてくれた。
ゾウの記憶は、そのことを覚えているに違いないのだ。

高齢化社会は、記憶を失うという「アルツハイマー病」を顕在化させ、またデジタル化社会は無数の情報に飽和した記憶を胚胎させた。これは今世紀最大の問題となるだろう。均質化した情報は多様で異質な情報を排除した社会になる恐れがある。「共同」という人間にしかない特性、まさに「人間」(じんかん)社会を失うことになる。

 

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